お茶の間だより

おばさんの呟き

「レナードの朝」Awakenings(1990)

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ロバート・デ・ニーロはいくつか映画を見ているけど好きな方じゃないと思う。本人がそれを売りにしているわけでも無かろうが、演技のために努力する逸話ばかり先に聞いてしまい、個人的にはそういう情報は要らんなぁ、と思ってしまう。完璧主義なんだろう、そこまでしないと役に入り込めない人なんだろうとは思うが、大抵熱演すぎてお腹いっぱいになってしまう。

でも「レナードの朝」はそんなデ・ニーロの全力演技がなければこんなに感動出来ただろうかとは思った。デ・ニーロの役は、少年の時に原因不明の発熱以来、脳炎を起こしてほぼ寝たきり・意思表示もままならない状態でアラフォーになった患者。最初、利発な少年レナードがある日熱を出してしまう場面から始まるので、その30年後年老いた母親におむつを替えてもらう、身体だけはすっかり大きいおっさんになった姿が何とも痛々しい。

もう一人の主役・セイヤーという薬学専門の医師(ロビン・ウィリアムス)の考えで投薬した薬が効いて、同じ病気で収容されている患者たちが次々と自我と身体の自由を取り戻す。他の患者役の人たちも、表情や自由の利かない身体の表現など凄まじいの演技で、それだけに薬が効いてから健常者へ戻っていく画面的効果がすごい。

皆数十年という時を失っている。身近にいた人を失っていたり、外に出れば世の中が変わっている。彼らがダンスバンドにリクエストする曲は遥か昔に流行った懐メロ。しかしそれを自分の足で踊れる喜び。これから失われた時間を取り戻せるという意欲に溢れている。

しかし薬の効果は薄れて行き、快活で賢い人格を取り戻したレナードも、次第に再びぼやけて行く自分に苛立って怒りを当たり散らした後に、諦める。医師と記録を取るために録画している最中に発作を起こし、止めようとするセイヤー医師に今の姿も録画しておけ、と言う。

レナードは別の患者の見舞客のポーラという娘に恋をして、病院の中でささやかなデートをするのが楽しみだった。それも諦めなければならなくなり、不自由さに侵され始めた姿で、元気だった時のように身だしなみを整えて、病院の食堂で最後のデートをする。

もう言葉もちゃんと喋れず、やっとの思いで最後の握手を差出したレナードに、言葉とは違う形で応えるポーラ。名場面。


Scene from Awakenings (1990)

ダンスの場面で既に泣きそうになってしまうが、場面が切り替わって病院を出てバスに乗り込むポーラを、大きな身体で足を引きずって鉄格子の中から見送るところで涙腺崩壊する。もう死ぬまで外の世界はすべてこの鉄格子越しに見るしかない。一度は出られると希望を抱いて打ち砕かれた。ひとときあった心の交流もやがて忘れてしまうだろうが、それでも目に焼き付けて置こうとするレナード。

――というところで、私のリアルライフで次女が帰宅したのには参った(笑)。ちょうど部活引退したり、学校行事がランダムだったりと帰宅時間が読めない時期だったんだな。迂闊だった。えらい心配された。まあ家族で見ていて何かが刺さって恥ずかしながら泣いてしまう、ということはたまにある。その次女はゲーム「大神」をやりながらクライマックスで泣いていた。長女が泣いてるところはあまり記憶にないが、そういや彼女が「おジャ魔女どれみ」を見ていた時代、シリーズ最終回で子供の後ろで画面が見えなくなって振り向くなよ~今振り向くなよと思っていたことなんかもありましたわ。 

レナードはその後、最初に登場した時のように、母親に介護されながら病院で過ごし、虚ろな目で何を考えているのか、そもそも意志があるのすらわからない状態に戻っていく。薬が効いたとぬか喜びしたのは患者や家族たちだけでなく、投薬したセイヤー医師にとっても失意だったが、それまで孤独を好んで心を閉ざしがちだったセイヤーが、最後にずっと協力してくれていた看護婦をお茶に誘うところで話は終わる。

 

似たような話として、SFの名作「アルジャーノンに花束を」を思い出させる。私は実はあれを読んで(もちろん、翻訳だけど)あまりピンと来なかった。「アルジャーノン」の場合最後の一言に万感込められているらしいのだが、途中も個人的には読みづらくて、感情移入出来なかったから最後の一言が響かなかったのかも知れない。そう言えば映画「風と共に去りぬ」の、最後の決めセリフで皆えらく感動するものらしいが、スカーレット・オハラが単なる気まぐれワガママ女に見えてしまったせいだと思う。どちらもだいぶ前だったから、今読んだり見たりしたらまた違う感慨があるかもしれない。

その時の気分とか、あまり周囲からいいよ~泣けるよ~と聞いて読んだり見たりすると、期待し過ぎたり身構えたりしてしまうあまのじゃくな気質のせいもありそうだ。名作に素直に感動出来るかどうかは運とか縁があるように思う。

その点「レナードの朝」はデ・ニーロの過剰演技を警戒していたのに、すっかり彼の演技に落ちてやっぱりすごいなと思えたのだから、やっぱデ・ニーロはすごい(語彙力)。おそらくは、辛い話を淡々と展開させる演出と、ロビン・ウィリアムスや看護婦役の人、他の患者たちの演技など様々な要素はあったと思う。ロビン・ウィリアムスはこの映画の前に「いまを生きる」を見ていて、あれも希望、感動、失意と一片の救いの物語だった。憂いを帯びた青い眼、寂しそうな微笑みが印象的だがそれだけに悲しい事が起きる予感しかしない。近年自殺してしまったというイメージが更に寂しさを強調する。

youtubeにはDVDのボーナス映像だったのだろうか、二人揃ってのインタビューがあって、実に楽しそうに話している。この手の映像や裏話公開、あまり好きじゃないんだけどこの映画に関してはほっとした。


Robert De Niro and Robin Williams - outtake from Awakenings - HQ