お茶の間だより

おばさんの呟き

朝令暮改ランニング

3月頃から、近くの川沿いの遊歩道を軽くランニングしている。

と言っても、半分くらいは歩いて20分くらいの距離で、この前測ったらトータル1.5km。雨なら行かない。毎日ではなく、家事が済んでいる時だけ。

ランニングには否定的だった。中年以降のランニングは足腰に却って悪いとか、有酸素運動をしすぎると病気誘発要因になるとか。最初は次女が部活動で足りない分自主的に走りたいと言い出して、それに夫がつきあうようになって、少しでも走るといいぞ~と言われると余計に行きたくなかった。

でも、じゃあ私はウォーキングだけ、距離も飽きたら止めるという前提で外に出て、歩いているうちに走りたくなった。その時は夜8時頃だったので、私は帰宅したら片付けやら翌日の朝食の準備という家事がある。同じ距離を歩くと決めていたので、走った方が早いと思って走り始めた。すぐに息が切れて立ち止まるので最初は1/3も走れなかった。

ウォーキングではなくランニングをしてみると、自分の身体のガタガタっぷりがよくわかる。ちょっとスピードを上げると足がもつれる。遊歩道だから走る事以外、足を交互に転ばないようにしながら出す事しか考えないと、他の歩行者や自転車も通行するところなので危ない。こんなに走ることに集中しなければ走れなかったのかと最初は愕然としたが、この「他に考え事をしていない」状態が異様にハマった。

私の思考は私の性格や、多分好んで選び取って来た経験が構成している。思い出せる範囲で心は簡単にその時に戻れるけれど、肉体にはそんな選択肢がない。中年のヨタついたこの身体ひとつしかなく、いくら10年前よりも元気だとか、その頃より体重が軽い、筋肉量も多いとか言っても、肉体だけは完全不可逆だ。

実はそこまで難しくは考えておらず、なんとなく続いているのは多分「三日坊主上等」だと思っているせいだと思う。自分で自分が信用できない。今までだって、あれを頑張るとか、あれを達成するとか意気込んでも出来なかった。

行き当たりばったりで独立生活し始めて、家事を仕切って子供を育て、無理やりルールを作りながらこれで良いのかといつも疑問だった。多分いっぱい間違えてる。なのに、気がついたら私は親になっていて子供にあれこれルールを押し付けていて、それ本当に正しいのか考えた事ある?と思いながらもじっくり考えている余裕なんてなかった。

走って帰宅すると、弱いなぁ、色々間違って来たんだろうなぁ、知らないうちに周囲に迷惑や心配をかけたりしていたんだろうな、嫌な事を言ってきた人もいたけど、あの人が嫌な性格なのではなくて、私自身に問題があったからかもしれない…と思う。

走って弱い自分が出てくると、良いことも悪いことも全部過去のもので、この弱っちい身体だけとこの先あと何十年かは付き合って行かないといけないんだと真剣に思う。嫌だとだだをこねても10代の身体には戻れない。もう見栄を張っている余裕も時間もない。新しい事を始めるのに三日坊主で終わっても構わない。何なら朝令暮改でも良いと思う。

でも、この年になっても続けていると走れる距離が少しづつ伸びてくる。毎日走れるわけじゃないので数日経つとまた戻ってしまうが前より楽になっている。

気に入っているのは、何の道具も要らないし、運動する場所を考えなくてもいいところ。気が向けば距離を測るためのスマホを持って行くし、今後続けらて、距離が伸びたらもうちょっとそれらしいウエアが欲しいなとか考えている。
雨が降らなければ夕方になるとソワソワし始めて、7時頃まで明るいのでじゃあ10分だけ、今日は歩くだけにしてみようかと自分を騙して靴を履いて外に出る。