お茶の間だより

おばさんの呟き

「赤ひげ」1965年 黒澤明監督

ネガティブな感想を含みます。

時は江戸時代後期、幕府の療養所で「赤ひげ」と呼ばれた医師の周辺で起きる人間ドラマ。


赤ひげ(プレビュー)

とにかく長い(3時間、幕間あり)。この頃、長時間=大作という時代背景があったのかもしれないし、この時間だからこそ盛り込める内容もあるのかも知れないが、もう今の時代、映画館でこれを見ると思うと私には無理だ。

そもそも、世界が絶賛するクロサワ映画というが、映画として古いせいなのか個人的には気持ちがついて行けない事が多い。時にはある思想を押しつけて来るものもあるし、私がオバサンなので、この頃の男は強く女は弱く、みたいな世間の常識観が合わない部分もあると思う。

絵面が美しい、と思うところは黒澤映画のどれにもある。「赤ひげ」も、病床で昔語りをして死んでしまう佐八(山崎努)の回想場面は美しい場面が多く、恋女房となるおなかと出会う雪の中、ほおずき市で風鈴が鳴り響く向こう側で再会を果たす場面は鮮烈ではっとする。

大抵、家で見ていると知らない俳優ばかりなのでwikiを見ながら見る事になる。同時に裏話的なものを読めば、どれだけ戦後の名作と言われる映画が当時のお金と時間をかけて、寝食惜しんで作られたものか知ってなるほど、とも思うが、そこまで思いを馳せて評価するべきなのかどうか、とはよく思う。映画は古さを問わず面白くて、見応えがあって、オチにカタルシスがあって余韻をもたらしてくれるものはたくさんあるし、それが映画鑑賞の楽しみだと思う。

今のところ、見て良かったなぁと思う黒澤映画はあまりなくて、一度見て置かなきゃなぁ(タダで放映してくれるし)という感じで見て、映画タイトルを聞いたらああ見たよ、と言うための感じで見ている。多分、有名作品が多すぎて話の筋とかモノによってはオチも知っていたりするから醒めているのかなと思う。昔の同時代に作られた「しょうもない」映画と見比べると、かなり凄いんだろうな、とか。ただ、やっぱり「昔の映画」フィルターをかけたり「一見の価値ある世界のクロサワ映画」と思って見ないと、だいぶ辛い。

個人的に「やっぱり、黒澤映画私ダメかもしれない」と思ったのは、評価としてどこでも微妙さをもって語られる「夢」を見た時、あれだけ壮大な美術や世界観を画面に与えている分、セリフがとにかく説明的で蛇足に感じてしまった事からだった。映画としても色々問題があったのだろうとは思うが、全体的に映像が過剰なので、むしろ役者が生の声で喋ると「ああ役者が芝居してる」って思えてしまう。また見ようともあまり思わないが、音声消しても通じる映画なのでは。

そう思うと、それまでに見た全盛期の映画であってもそこまで丁寧に役者に状況を語らせなくても…と思っていたし、ゆえに「いや、現実でそういう事は口にしないでしょ」ってなってしまう。

とは言え、そうたくさんは見ていないが戦後くらいの古い映画は皆こんな感じだったと思う。セリフが多い分なのかわからないが早口で、滑舌が悪い役者もおおく、マスター映像も古いせいなのか何を言ってるか割とわからない。なので字幕必須になる。

しかし、あれこれ言ってもやはり古い映画での、今はもう亡くなられたり年を取った人たちの若い頃の姿や演技が見られるのは楽しい。この映画では加山雄三が保本という若い医者として赤ひげ先生の三船敏郎の次に主役として出て来るが、美男子でびっくりする。育ちの良いエリート志向の医者見習いで、赤ひげ先生を尊敬するようになる過程でまたイケメン度が上がる。素直に尊敬を口にするようになった保本に対し、赤ひげ三船が期待通りのツンデレで対応するのが今見てもカワイイ。

やっぱり三船敏郎はすごい。基本的に顔立ちが良い人だが、美男俳優というよりも怪優に近い。思えば志村喬山崎努仲代達矢黒澤明の映画で主役を張る人たちは眼光が鋭い、仏頂面がデフォルト、笑顔がむしろ怖いと癖のある人が多い。「生きる」の志村喬なんか、9割顔芸だった。これも説明的セリフを親切そうに喋る俳優は黒澤映画には向かない、という事のような気もする。持論引水。

個人的には女郎屋のババアの杉村春子が凄みがあって印象に残った。他の映画でも口達者、割と意地悪で嫌なおばさんとして出てくるが、出てきた瞬間からブレない意地悪っぷり。見た目も醜悪とさえ言えるような姿だが、堂々とした悪っぷり。

終わりの方でノコノコ体を売らせようとしていた娘を引き取りに来て、おばさんたちに追い払われた挙句、怒りがおさまらないおばちゃんが一人「かっちゃばいてやる!」と叫んで追っかけて行く時の勢い、全速で走ってる。多分ダッシュしてもセットの端まで行かないくらいの広さはあったのかもしれないが、あんな走り方は今の映画やドラマではしないし、わざわざイチ脇役のおばちゃんにそんな役は与えられない。赤ひげ先生も、チンピラたちをボコボコにする格好良い場面があるが、これも本気で殴ったりしているのではと思わせる(案外、この頃は本気で殴らせていたかも)当時の大部屋俳優と思しき人たちのプロ意識、やはり今の映画やドラマでは見られないと思う。体を張るのが良いと言ってるわけではありませんが。

他にもセットのやみくもな壮大さ(≠美しさ)さも見る価値があるとは思う。リアルに重そうな唐草模様の汚い布団が一面に干されている場面なんか還って贅沢に感じたり。多分そうなるだろうと思ってましたが、結局「今こんなの出来ないな」とか「今だったらCG処理だろうな」「時代考証がちゃんとされていて、その通りに用いられているんだろうな」ってそんなところばかり印象に残りました。

なんだかんだ映画を見続けるのは、そういう「その映画が作られた時代」を見て楽しんでいるからかもしれず、これからもとりあえず録画しては見ると思う。