お茶の間だより

おばさんの呟き

カラーボックスの背板を外す

あれこれ期限のある作業に追われていて、ようやく済んだので家の片づけ再開。

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カラーボックスの背板を外したのは2台め。300均のカゴを取りつけて、洗面台前の棚の上に置いた。洗面台前は風呂のすぐ傍でもあり、しかし洗濯機の上ほど湿気が気にならないので、いつも家族がここに脱いだ服を置き、次の日着るつもりだったのだろうが忘れてタンスから出すためうず高く積もってしまうのが気になっていた。ついでに別な用途でお払い箱になっていた百均のプラカゴを置いて、ここに娘たちが使うドライヤーやらヘアアイロンを入れておいたら、二人ともここへ戻すようになった。ドライヤーはコードを畳むのがとにかく面倒くさいのは、自分が若い頃に経験したのでただ放り込めば済む状態を作りたかった。

なぜカラーボックスの背板を抜くのかと言えば、我が家はずっと賃貸の集合住宅住まいで2回引っ越ししているが、常に結露と壁のカビとの格闘の歴史だったからだ。私は実家では結露を気にした事がなかったので、窓はともかく壁まで結露して壁紙がカビる、なんて結婚後初めて知ってびっくりした。賃貸なので今までは手入れしても無駄骨と思ってあまり手入れしていなかったが、壁が濡れて部屋の端から黒ずみ、部屋に居られなくなった。今年壁紙だけは張り替えてくれたので、もうその壁には家具が置けなくなった。思えばそこら辺から断捨離を始めて、ともかく物と家具を減らそうと思った気がする。

最初は家具を買い換えるつもりで、出来るだけ背中(背板)のないものにしようと思った。結果、無印やニトリの「背中のないウッディな棚」に目をつけた。

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(無印のサイトからいただきした写真)

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(同じくニトリの以下略)

 

無印のものはお洒落で丈夫そうだが高い。長く使える良い家具と思っても、結局邪魔になって廃棄するのはソファの件でもうたくさん。どのミニマリストの言葉か忘れたが、断捨離は自分の誤った選択肢とか黒歴史とか結局棄てる自分の罪悪感とか割とネガティブな感情と向き合わなければならない、というような言葉があって全面的に同意した。でもそれを自分で認めて行くと、買った時の嬉しかったり楽しみだった気持ちや、当時の家族の状況などが懐かしく思い出されもし、それが無くなっても平気な自分に、変な自信というか、それがあったことには変わりないみたいな変な想い?がつく。いわゆる「昔はバカやったもんだが…」と微笑みながら呟くオヤジの心境に近いかもしれない。

話を戻すと、ニトリの棚は安くてこれで十分と思い、実際に店舗で一応チェックして通販の注文一歩手前まで行ってふと、正直カラーボックスの背板を抜いて連結しても良い気がした。というか、連結する必要なくね?と思ったわけだ。

それに加えて、最近は売り場や写真で良いと思っても、家に来たらどうなるかイメージ出来るようになった。これは洋服も同じで、自分が着たらどんな感じになるかイメージするとぶっちゃけ凹むが下手に買わなくなる。棚も売り場ディスプレイや広告だとセンスが良いが、今のわが家では雑誌とか使わなくなった小物でたちまち溢れホコリまみれになるのを私がひとり掃除するいつものオチになると思う(こういうところ、インテリアはペットに似ている)


というわけで背板外し実践。

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カラーボックスは背板を抜いてしまうと強度的に問題があるだろうと思ってはいた。それで、ネットで調べてみると、カラボに限らず補強にはとにかく金具で固定、というのが定番のようだ(すごくざっくりしているけど)。本当はこれに合う筋交いの針金状のものがあれば一番良いのだろうが、ホームセンターをうろついていたらその手のものはよほど大きい棚用しか無く、L字型・T字型の金具が売っていたのでそれを使ってみることにした。それぞれ4枚のセットを買って200円ちょっと。これを片側に打ち付けて、反対側の板をドライバーで外し、背板を抜いてから元通りにし、そっち側の金具も取りつける。

カラーボックスの板は割とスカスカなので、私のようなオバサンでも簡単に釘が入る。その分強度は甘いと思うが、もう重いものは入れる予定がないので構わない。一応強力接着剤をスカスカの穴に充填しながら打ち込んでみたが、あまり変わらなそうなので途中で止めた。子供も大きくなって、うっかり乗ったり体当たりする事もない。体当たりというのは半分冗談だけど、子供は大人が想像つかない事をするのでこういう事が出来なかった。小さいお子さんがいる家庭では真似すると事故になりかねないので勧めません。

本など入れると向こう側へ落ちるが、そういう物は入れない事が今は肝心だと思っている。収納用品を増やせば要らないものを保存してしまう。カラーボックスを買うと要らないものを詰め込む事になり、現にカラボは主に長女の部屋にあったのだが、片づけの際本人も長いこと見ないような、思い出の品でもない意味不明なものがたくさん入っていた。勝手に棄てると本人より夫が怒るので、まだだいぶ残っているが連休後半とっつかまえて整理させたい。とは言え、もう大学生にもなると一日顔も合わせないという日の方が多かったりする。

いずれ用済みになって廃棄されると良いなと思うが、多分このくらいの箱家具は、最後は押入れに入って冬物や季節ものの保存棚になるのではなかろうか。そうなった時のためにもやはり背板はない方が良い。

調理小物、文具、好きだったものたち

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文房具、調理小物。従来わたしの中に「捨てる」という選択肢がなかったものだった。大きな文具店やお菓子作りの材料や器具の専門店が大好きで、めったには行かなかったがその分見かけると素通り出来ない方だった。

百均にそれらが並ぶようになり、私も家族を得て独身の時ほどお金を自由に使えなくなると、百均がそうした雑貨を買う場所になっていたと思う。それもまた楽しく思っていた。筆記具に関して言えば、百均のものはあまり良くないからホームセンターなどに行くとまた楽しい。今は大手文具メーカーも頑張って工夫が色々されたものが売られている。それでも、子供たちが受験などで次の学校に行くたびに使わなくなった文具で溢れてしまう。

実際、私が今職場へ行く時に使っているペンケースは、次女が小学生の時に使っていたものだ。汚れてはいるが布製で軽く、ここに4色ボールペン、キャップつき鉛筆、消しゴム、半分に折った定規だけ入れていく。他に持ち物もあるので、軽く済むのが良い。家ではペン立てはなくしたので、ペンケースのファスナーを最大に開けて机の上に置き、加えて付箋だのはさみだの、使ったものをとりあえず放り込む。

4色ボールペンは、チェックに赤が必要なので便利だが、青があまり使われないのでメモなどどうでも良い事を書く時には青を使う癖がついた。ちなみに、海外へ行くとボールペンは青インクの事が多く、可愛いと思って買うとインクが青、ということがよくあった。もう海外旅行などおそらく行く事もなさそうだが、青い字を書くと異国をちょっとだけ思う事もある。

そんな風に、懸命に使えるものを安易に捨てないようにしてはいるが、私の消費がどうにも追いつかない。写真のものは貰い物だったり、子供ももう幼いからと使わなくなったもの。こどもたちが小中学生だった頃は勝手に処分してはいけないムードがあったが、長女が大学生、次女が高校生になったので、文具は一定の場所に入れるように言っている。まだどれも出来ているとは言えないが、雑貨やら本、出来れば衣類なども今まで、それぞれの場所に散らばっていたものを、出来るだけ1つの場所に集約しようと試みている。多分家族も1つの作業のためにあちこちへ移動しなくて済むはずだし、私はその集まったところを掃除なり断舎離すれば良い、と思っている。

ステンレスのザルと小さめのボウルは百均で買ったものだと思う。小さなバットは生協の通販で堅牢な作りのものだ。私はステンレスのキッチングッズが好きで、特に水まわりのスポンジ受け、シンクのごみ受け、洗い桶、食器かごは結婚してすぐにステンレスのものを買い揃えた。買い換えたものもあるが、基本ずっと使っている。劣化しないし、錆びないし、ぬめりが付きにくく、付いてもタワシでこするだけで落ちてしまう。なにより銀色に光る調理器具に囲まれているとプロっぽい感じがある、とか勝手に悦に入っていたかもしれない。

昨年のある日、テレビ番組で調理時間を短縮するコツを披露していて、ズボラ主婦歴20年の私は「そんな事、人に言われなくても合理的にやっている」と思っていた。しかしそのテレビに出ている人の主張は徹底していて、調理器具の入った引き出しや扉は調理が終わるまで開きっぱなしにしたり、逆にシンクは清潔を保っているので食材をそこに置いても大丈夫、などなど小さな工夫を重ねていた。ハンバーグなら副菜も含めて盛り付けまで20分で作ってしまうのだそうだ。その人の実践どおりには全て従えそうにはなかったが、参考にして自分なりに小さな手間を見つけては減らしていたら、ステンレス小物を出す事がなくなり、調理時間も減った。

何でも時短すれば良いものではないと私も思うが、短く済むと家事は楽、というその人の主張には大いに賛成するところがあった。最近では「とりあえずご飯を炊いておけばなんとかなる」くらいの気分で帰宅するので気が楽だ。思えば最近の断捨離も同じ理屈で「片付けなければならない物」が減って来て、戸棚や家の中が歴然とスッキリして来ると掃除も楽になり、却ってよく掃除するようになったと思う。

これもテレビだかネットで見た話だが、断捨離ルールで「迷ったら一旦手の届かないところにしまう、一定期間使わず、他のもので代用したり、あるいは全く使わなかったら捨てる」というルールを憶えていたので、ステンレス小物を箱の中に入れて吊り戸棚の中に入れておいた。思えば、愛用しているとは言え、使い終わるとシンク下の鍋などを入れているところに重ねて入れていて、ここも鍋や蓋、他の調理器具でごちゃごちゃになっていて料理の度に屈んでいた。小さなステンレス器を避けてみると、それでもまだあれこれと器具はあるもののだいぶスッキリした。

もう自分の手で書く文具はそんなに要らないし、百均に溢れるほど様々な調理器具があっても、もう要らない。子供の頃には憧れて、わざわざ電車に乗って百貨店に行き買ったようなものもあった。眺めるだけでも楽しいモノたちだったから、少し寂しい気もした。しかし、空いた吊り戸棚のスペースに今度はお菓子作りの型抜きや麺棒など、お菓子を作るときにしか出さない道具を入れたので、食器棚の一番下のスペースがスッキリとした。

大事にしていたものは思い出ごと大事にするのも良いが、時代は変わった。好きだった道具を、自分のお気に入りの店でお小遣いを崩して使う事が多分その時は楽しかったのだと思う。その楽しかった気持ちは、モノがなくなっても私の記憶からはなくならない。

なお、前回の丸元淑生の料理本だが、先週用事があって神保町界隈まで足を伸ばすことになり、あちこち覗いていたら、あの辺りの古本屋はジャンル別に扱っている店が多いことを再確認した。近いうち、カートにでも乗せて行って店々をぶらぶら回ってみたいと思う。

憧れだったソファ

私の住む地域の粗大ごみ回収は、木曜日。そして、3日前までに申し込みをしなければならない。
昨日、ようやくソファを捨てる決断をしたので忘れずに電話した。この「忘れずに」が意外と難しい。大抵週明けでドタバタしていると電話するのを忘れてしまうのだ。インターネットでも受付してはくれるが、大きさによって回収処理の手数料が違うので、自分で調べなければならず、微妙な大きさのものはやはり電話受付が安心。

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このソファは、おねだん以上のCMで有名なあの家具店で買った。
今までに色々と世話になっているものの、正直「おねだんなり」という印象が強い。このソファもスプリングがすぐ駄目になった上、背もたれに凭れていると逆に首が疲れる。最初はテレビの前のリビングに置いていたのだが、ソファの下に敷いた絨毯に座り、ソファの座面のところに背中を凭れかけさせるようになってしまった。

おねだんなり、というのはそういうところで、他は小物程度しかないが、キッチン用のザルは持ち手の方が重く傾くので、持ち手を洗い桶に乗せないと麺類の湯切りの時に引っ掛けないと安定せず、たまに麺ごとお湯を流しにぶちまける羽目になる。保温水筒は保温機能は悪くなかったが、開閉式のキャップの留め金がすぐ砕けて使えなくなった。

しかし、ソファは我が家、というか私と夫の悲願だったように思う。
結婚して間もなくの頃、夫の姉、義姉一家を訪問した。一家は地方の新しいマンションに住んでいて、一姫二太郎の典型的な幸せ家族でリビングにはソファがあった。やがて私たちも子供を授かったが、保育料のためにフルタイムで働き、子育てと生活に追われ、寛ぐ余裕もなかった。二人目が生まれて2DK賃貸が手狭になっても、駅から近く便利だったし、その分の家賃や引っ越し費用が浮くと思い次第にモノが増え続ける中で生活した。ソファなんて夢のまた夢だった。間取り的にもどう考えても、一人用のソファも置けなかった。

今の住まいになったのは、中学に上がった長女が、たまたま4月でもとても寒い日が続いていた年だったので、ある日泣きながら「寒い、家が遠い」と帰ってきた。それで夫が重い腰を上げた。新しい住まいは建物は古いが3LDKで、LDKは2つの部屋の壁を潰して繋げてあるもので、12畳近くスペースがある。家賃負担増はきつかったが、これで子供も満足、私達もやっとソファが置けるリビングに住めるようになった、と思った。前後して私も仕事を一旦休んだ後、スローペースでぼちぼち在宅で出来る事を、という新しい生活への切り替えも期待していた。

しかし、実際はソファを置いたものの、子供たちがそこへ座ったり寝転んでいると夫は、姿勢が体に悪いと注意し、ゲーム機やスマホを弄っていると文句をつけるので、子供たちは逃げるようになった。

私は元々テレビを漫然と見るのが嫌いだった。実家の親、というか私の親くらいの世代は皆同様と思うが、家にいるときは見ていなくても取りあえずテレビをつけている。今は録画消化の時くらいしかテレビはつけないし、私はなにか作業しながらでしかテレビを見ない。

ともかく、家族親が家に居ればテレビを見るので私は座らず、一人でいるとパソコンやら家事やらで尚更ソファには座らない。あれもやってない、コレもやってないと感じる中でソファで寛ぐ習慣なぞ身につかなかった。

しかし、ソファ周りを掃除したり、カバーを変えたり、上に置かれたものを片付けるのは私の役割だった。と言うか、誰もやらないので私が汚れが気になったり、気分転換したくなると洗い替えをする羽目になった、ということだ。たまに掃除すると、ソファの下から探していたものやゴミが出て来るようになった。

やがて、思い切って壁際に置くと皆が「部屋が広くなった」と喜んでいた。その前から、ソファの上は物置きになりがちという話題は知っていたが、ますます「物置き場」になった。写真を撮るに際して、あまりにも切ないのでどかしたが、この上にバランスボールと、コタツ布団と、もう仕舞う予定の冬用の厚地の衣類が置かれていた。

ソファは、残念ながら幸せ家族の象徴とか、くつろぎスペースには我が家ではならなかった。義姉一家もその後、ほどなくして義実家のある近所に戻って来、綺麗なマンションは手放してソファの置けない住まいを2つほど変えて、やっぱりソファが置けない義実家で義両親と同居になった。義姉にしてみれば、別にソファは家族団欒の象徴でもなかったのかもしれない。
しかし、それでも一度置いてみなければわからなかった事ではあった。私の夢の残骸、というほどでもないけど、それでも一つの夢であった事には変わりなく、ゲットしてみたら特に要らなかったというありがちなオチになった。でも「念願のソファのある生活」は叶ったのは確か。ありがとう。

子供の受験票など

次女の中学卒業式が終わり、確定申告も無事届出が終わりました。
私が住んでいるところは月・木が燃えるゴミの日なので、日曜は断捨離デー。
今日は押入れの片付けをし、一旦リサイクル紙のところに入れたものの、せっかくだから写真を撮って記念に上げて置こうと思ったので。

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長女の大学受験合格通知と、受験票やら費用支払の諸々。
最終的に第一志望校に受かったから良いようなものの、今時の大学はこんなに複数受験するとは驚きでした。
予め高校での説明会では、多い子で10校受けると聞いていたもののウチはそんなにないだろう、と思っていたら先生との面談で10くらい受けるというリストを持ち帰って来た。それをインターネット出願し、受験料をコンビニで支払ったのはワタクシです。

10校もなかったな、と思って良く見たら2つの大学は2学部受けてるし、結局合格しなかった大学も入れるとやっぱり10超えてますわ。受験料は学校によりですが大体3万円前後。受験料だけで30万支払い、しかもですね、この真中にある東京の理系大学は志望校の発表前が手続き締切なので、入らなくても入学金は支払わなければならない。

入らなかったけど35万円支払いました。東京理科大学。ちなみにいわゆるMARCHは20万だったような。
まあ、世の中には私立医学部へ通うお子さんもいるわけで、このくらいで腹立ててるような家庭は子供を大学に行かせるなんて望んじゃいけないのかもしれませんね。

ま、まあ合格祝いってやつだよね!と思いはしたものの、やっぱり庶民なのでその後あれこれ娘と諍いをする時ついこの事を言ってしまいましたね。やせ我慢なんてするもんじゃありません。

まあ、その彼女も今年成人式を終えて社会的にも大人になったので、親としてはほっとしてます。学校の悪口は言うし、追い出した先の狭い部屋はやっぱり時々せっつかないとスペース・収納があるだけモノを溜め込んでますけども。多分私の事も影では毒親とか言ってんだろーなー。まあいいですよ。私も自分の親のことは恩もあったけどやはり小さな恨みはいくつも抱いてました。それが解消されたのは自分がそうやって恨まれる立場になってからですね。親は子供のための神じゃない。ひ弱で愚かでたいてい金のない哀れな年寄りですよ。その代わり子供にも親不孝者、とかお前のためにどうたらとかは言わないで来たつもりですけどね。(心理的プレッシャーは否定しない)

ちなみに次女も長女と同じ高校に受かったので私立通いですが、5歳離れてる次女の受験を通して、私立校の少子化対策が進んでいると思いました。男子校、女子校は共学になるし、いわゆる滑り止め高校も上記の長女の受験の様に、公立が発表になる前に入学金だけは支払わねばならない学校がちらほらあったのが、受験料だけで済むようになってて、受ける側は選択肢が増えてて有難かったです。

今、昔お世話になった歯医者へ通っているのですが20代の頃、習い事をしたり遊びに行ったり、こと買い物には今でもとても楽しい街ですが、かつては気安く買えたものが「高い!」と思ってしまう自分にちょっと凹んでました。でも、まあ、これからは自分の好きなように過ごせる時間も増えるだろうし、思えばもうモノを増やす気はなかったんでした。

シカゴ Chicago (2002)

 


All That Jazz (2002 Chicago Movie)

一部の役者に対するネガティブな内容があります。(ほぼリチャード・ギア


私は原作のボブ・フォッシーに関するものが好きで今もファンです。
「シカゴ」は話は知っていて、かなり前、機会あって舞台で見てました。
鳳蘭と麻美れいがロキシーとヴェルマ。宝塚ファンだった当時の知人と一緒に行ったところ、客席が彼女らの現役時代のファンと思しきおばちゃんばっかりで驚いた記憶があります。…今、こういうの見に行ったら私は完全にそっち側で、私はヅカファンではないけどいいなと思います。

 

ボブ・フォッシーの活躍は1950年代~70年代で「キャバレー」「オール・ザット・ジャズ」という名作映画が残しているし、「キス・ミー・ケイト」「星の王子さま」と言った映画で本人の素晴らしいダンスも見られるし、振付師としても有名なので、映像を検索するとキリがないほどたくさん見られます。

 

この映画が公開された頃、ブロードウェイでは「フォッシー」という、ボブ・フォッシーの作り出した舞台や映画のダンス場面だけを抜き出したものが上演されてロングランとなっていました。私もブロードウェイキャストの一人だけ来日した公演も見に行ったり、ブロードウェイの舞台を録画したDVDも買いました。でも、どれを見ても本人のこのダンスがやっぱり一番かな。

映画「星の王子様」のスネークダンス


sssssSnake in the Grasssss

帽子を取って禿頭を晒したり砂漠なのに上着ポケットから砂を撒いてサンドダンスとか、人を食った演出までがフォッシー。カッコエエ。

「フォッシー」と同時期にブロードウェイで「シカゴ」もリバイバル上演され映画にもなると、この頃アメリカでは降って沸いたようなリバイバルブームだったようです。

監督としても名作を残しているフォッシーの原作を他の人が映画化、とその時点でハードルが高かったろうに、と思いましたが監督のロブ・マーシャルはブロードウェイの振付師だった人で、フォッシーのファンだったとか。
あちこちに「キャバレー」や「オール・ザット・ジャズ」を連想させるところがあっておっ、と思ったのはそういう事かと。


そういう予備知識がなくて、ポスターを見た時に「またリチャード・ギアが出るのか…やだな」と思っていたのですが、映画としてはとても良かったです。

特に主演の二人がハマリ役でした。ヴェルマ役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズは、美人でグラマラス、ダンスも迫力があって、ボブ・フォッシーが生きていたら喜びそうにすら思えたり。

金髪の頭が弱いロキシーレネー・ゼルウィガーで、こっちはどうかなと思ってました。「ブリジット・ジョーンズの日記」の印象が強すぎるし、毎度「美人と言うには微妙すぎる顔」と思う。
でも、結果的に完璧に主役ヒロインでした。彼女の「絶対幸せになれないオンナ」芸はすごい。ジタバタしたり、有頂天になったり、落ち込んだりする時に見せる表情が豊か。泣きわめいたり、いい気になってツンケンするのがバカっぽくて、ロキシーって実際こういう女だったのではとまで思わせるのが彼女の凄さなのではと思ったりしました。

ミュージカルナンバーの「ロキシー」で、ハイレグのキラキラした衣装でモンローウォークし、精一杯色っぽい表情を作って男たちに囲まれるのがレネーの顔身体共に微妙なセクシーさでやられるとどこかネタっぽいんですが、フォッシーの派手なショー場面は、大抵うぬぼれた人間の妄想なので、合っている。

最後のNawadaysからHot Honey Ragは「シカゴ」の中でも名場面で、ダンスの技術的には最後の側転くらい(これも舞台ではやる前に手につばをつけるお約束 笑)なせいか、今まであまたのブロードウェイ俳優、テレビの有名人が映像を残しています。ボブ・フォッシーの振付の多くは、足を蹴り上げたり何回転も回ったりせず、とても抑制が効いていて、身体が磨かれたダンサーが踊ると見る者を圧倒する振付ですが、顔の良い美人がほにゃほにゃと踊ってもそこそこ見栄えがするのも良いところ。

そういう場面があるので、映画的に演出されていても、この場面は二人のキャラがある程度揃っている必要もある。物語としてはロキシーとヴェルマの立ち位置が入れ替わり、最後二人は打算的に妥協して一緒に舞台に立つ事になるがレネーは不思議とキャサリン・ゼタ=ジョーンズのブレない女王様っぷりと並んでもそんなに劣る程でもなく、絶妙なキャストだったかも。

思わぬ注目をさせられたのは、ロキシーの気の毒な旦那役のジョン・C・ライリーで、どっかで見たな?と思っていたらポランスキーの「おとなのけんか」でジョディ・フォスターの夫役だった人だった(この映画の方が後)。あと「めぐりあう時間たち」の中で、1950年代編で一見平和な生活を営むも、違和感に耐えられず家を出てしまうジュリアン・ムーアの旦那役でした。こっちも可哀想な役だったなぁ。
尽くしても相手にされない自らの薄い存在を自嘲する「Mr.セロハン」の歌の場面は存外に上手くて舞台映えしてました。もともとはやはり舞台の役者さんだったらしい。

ワル弁護士ビリー役のリチャード・ギアは私は苦手。以下悪口が続くよ!

冒頭の「オール・ザット・ジャズ」で気分がアガって、歌のごとくごちゃごちゃした展開で話が進み、「おっ、なかなかいい感じでフォッシー作品ぽいじゃないか…」と浸っていたのに、出てきた瞬やっぱ間見るの止めようかな…と思いました。

思えば、コッポラが80年代に撮った「コットン・クラブ」で、世界観や舞台背景、他の出演者たちの芸達者ぶりが素晴らしい中でやっぱりジャズミュージシャン役で出てきたリチャード・ギアだけがダメだった経験が拒絶反応を引き起こしているのかも。
どう考えてもミュージシャンという雰囲気がなく、ただ突っ立っているだけでギャングに気に入られ、ヒロインのダイアン・レイン(この当時本当に綺麗だった)にも好かれ、というのが最後の最後まで納得出来なかった。

年取って図々しいオッサン役も悪くはなかったけど、レネーやジョン・Cが普段他の映画では披露しないエンターテイナーぶりを発揮しているのに、「コットンクラブ」同様リチャード・ギアはボンクラにしか見えなかった。「シカゴ」全体が、人生や世間そのものがショーに喩えられるという内容なので、弁護士の弁説の場面も途中からダンスになるのが、足元だけの映像がどう見ても代役で、やっぱり踊れないんだなと。顔だけノリノリなのが恥ずかしい。「コットンクラブ」の演奏場面も見てる方が恥ずかしかったっけ…今見るとそんなでもないのかしら。

元が日本映画の「シャル・ウィ・ダンス」でリチャード・ギアが主役と聞いて、素人のオッサンがダンスに挑戦してみる、その程度に留めておいた方が良かったのにと心から思いました。見てないのにひどいな私。ていうか何でダンスとかミュージカル映画に絡んで来るんですかねぇ。もともとは案外踊れたりするんだろうか。多分、ナマで見ると背が高くて格好いいんでしょうねぇ。以上。

私が一番この映画のテレビ公開を待っていた理由は、モブで出演しているマーク・カラミアという男性ダンサーをじっくり探すためでした。「フォッシー」のDVD版ですばらしいダンスを見せていた人で、おそらくオリジナルキャストではないし、出番は少ないのですが、鮮烈な印象を残しました。(動画後半)


Dancing In The Dark FOSSE

確証があるわけではないが監獄の女囚たちの「セル・ブロック・タンゴ」の場面で、後で絞首刑になってしまうハニャクというバレリーナぽい金髪のダンサーの相手をしているのが彼だと思います。他にも最初の「オール・ザット・ジャズ」「ロキシー」や法廷の操り人形ダンスにも出ていると思う。twitterで本人アカウントを見つけましたがもうダンサーは引退して映像関係の仕事をしているらしい。
他にも、エンドクレジットでミシェル・ジョンストンの名前も見つけて驚いたりしていた。映画「コーラスライン」で緑のレオタードを着て開幕早々ソロで踊ったり、ディズニーランドでかつて上映されていたマイケル・ジャクソンの「キャプテンEO」でもモブの前の方で踊っていた人である。2002年でも結構なお年になっていたかと思うがすごい。あと、wikiには元々の舞台のオリジナルキャストであったチタ・リヴェラがでていたとあったが、こちらはわからなかった。さすがに踊ってはいないだろうけど、レジェンドが雑な扱いを受けるわけもないのでカメオ出演だったのかな。

これの少し前に私は「ムーラン・ルージュ」を見ていて、残念な気分になってました。美男美女、芸達者、美しい画面と馴染んだ歌の数々、不満はないはずなんだけど。

この映画みたいに出演者に制作する側も舞台人だったり、肉体ひとつで観客を魅了出来るエンターテイナーかどうかってところに、ミュージカルという名のつくものは期待してしまうらしい。踊れなくても別に良い。歌も調整されてても良い。でも、できるだけカメラワークやCGで装飾しないで、エンターテイナーぶりが見たいんです。

でも、そんな要求はもうされないらしい。「アナと雪の女王」でエルザが魔法で作る氷の城のCGには私も呆然しましたが、それに良い曲が乗ればもう優れた「ミュージカル映画」という時代なんだな、と。

私、昨年話題になった「ラ・ラ・ランド」見てないですが、評判とかレビューを聞くにつけ、多分ダメな方だと確信してて見てません。「セッション」が隅から隅まで私にはダメだったってのもあるのでミュージカルとしての評価とは違いそうですが。

その点ではあまり期待していなかったのに、かなり舞台の再現度が高かったのでは、と満足の映画でした。と言っても2002年だもんね。レネーもキャサリンも今は半引退状態、舞台人と女優の旬は短くて残酷。刹那のきらめきを捉えて、はかなく華々しい一瞬を見た思いでした。なんだか二人が恋しい。また見よう。

A.I.(2001)

 民放テレビ深夜放映の録画。吹き替え。 


A.I. Artificial Intelligence - Official® Trailer [HD]

私、あまりスピルバーグ名作見てません。「ジョーズ」もやっと昨年見たくらい。
今までの映画のタイトルや、評判を聞くと「大仕掛けのパニックもの」と、「人間の本質を問う感動もの(?)」に分かれる印象ですが、これは

「感動と思わせてエンターティメントもの、ややネタ傾向」

という感じがしました。いや、さすがに2001年ではしょうがないかも。
この頃はまだAIとかロボットがまだ未来のモノであり、かと言って今使えてるかというと全然ですが、ニュースだけを見ているとそれぞれ実用に近くなっていて、やがてテクノロジーが融合して本当の人間型のロボットが実用化されるんだろうなー、という実感がある時代にはなりました。2001年と言えばまだまだパソコン自体普及しているとも言えない時代。Windowsなんか2000とかMeとか…だったような(笑)

ハーレイ・ジョエル・オスメントがなるほどすごい。ちょっと気が弱そうで無垢で無力な少年の魅力爆発。この頃映画立て続けに出てイイ大人たちの涙を絞っていたようですね。
ペイ・フォワード」はネット配信で見てたんですがあれもこの子だったのか…。あの映画はあまり納得行かずモヤモヤした映画でしたが、やっぱり純真さ、愛らしさと庇ってあげたくなるような魅力がありました。

しかもこの「A.I.」に出た時もう13歳くらいにしては幼く、やっぱり今の姿を見ると童顔で背も小さいみたいですね。昔「ベストキッド」という映画で主演のラルフ・マッツィオが当時既に20歳超え、しかも数年に渡ってパート3まで主演を張ったという話を連想しました。

トレーラーではあどけない表情に涙を浮かべて「名演技」っぽいですが、実は何度かブチ切れる場面があるんですが、そっちの方が「無力っぷり」が強調されてて切ないです。

デヴィットを助けるロボット「ジョー」のジュード・ロウも良かった。目の大きなくっきりした顔立ち、ぴかぴかの若さがロボットとして「リアル」で、これはハーレイ君もですが、ああ私は今役者の旬を見ている、と思いながら、今はもうここから10数年が経って、それぞれの俳優は年を取っているだろうに映画の中では永遠に保存されていて、それがロボット役というパラドックスというか、逆にリアリティがあるというか、見ながら妙な気分になりました。

映画としてはどこがヤマかわかりづらい気がする。ひと言で言えば、デヴィッドという子供AIロボットが「人間になるための自分探しの旅」という事なのだろうと…が、旅と言う割に各行程に繋がりがないというか、ヤマへ至る盛り上がりが感じられず、森に捨てられてからの見世物小屋、都会へ、廃墟となったマンハッタンから海中へとオムニバスの物語を延々と見ているような、変なバラツキを感じました。最後の方での物語の総括みたいなのもないし(あったらあったでまた「あからさま」とかネガティブな事言いそうですが私)もしかしてアメリカの田舎→ラスベガス→NYと都会へ行くほど廃墟になっている?みたいな?よくわかりませんです。

そもそも、始まり早々に実際の息子が目覚めて出てくるんですが、デヴィットとは全然違う子っていう。最初にデヴィッドを見た母親は狂乱して狼狽えていたのに、何だったのかというくらい違う顔。
「本物」の方が美形で、ハーレイ君と違って子供の残酷さが際立って演出的にはバッチリ、その後見た目が違う子供じゃないと話にならないんですけど、さんざんデヴィッド君を家に置いてのお試し期間で葛藤した挙句、ついにはデヴィッドを「親として認識する」プログラムを起動してしまうのが、無責任じゃないか?と思ったり。でも、最初のコールドスリープで寝ている息子の顔はよくわからないので、母親もついうっかり…だったのかも知れませんが、感情移入は出来なかった。

もう少し「精神が壊れかけた母親」からの「本当の息子が目覚めてからの戸惑い」や、森に置き去りにする葛藤がもっと強く描かれた方がラストが生きるとは思ったものの、むしろこれくらい自分の都合だけで動き、結局は傍目からは薄情としか思えない行動をするような描き方の方がデヴィッドの「それでも母を慕う」一途さが切なく浮かび上がる、という事だったんでしょうかね。よく洋画で描かれる聖母的な印象はむしろ避けたのかも。

それでもデヴィッドがあまりに人間になりたがるのを見て、人間になったって愛されるとは限らんのだよ…と思い、ハッとして「願いが叶う以前」が本当は一番幸せなのかもなぁ、なんて事を考えたりしていたので、オチ自体には納得でした。2000年の時が過ぎなくてはならなかった理由はよくわからないんですが、アイデア自体はキューブリックから来たと言うし、「2001年宇宙の旅」なんかも無意味に時空の隔たりがあったりしたので、作り手の好みなんだろーな…と思うことに。

私がこの映画で一番グッと来たのは、デヴィットが自分を造った博士の元を尋ねて行くと自分の複製があって、ブチ切れてそれを壊した後、奥へ行くともっとたくさんの複製品、製品化されてパッケージにされた箱が並んでいるのを目撃して本当の自分が「親を慕うだけ愛玩用子供型ロボット」の1つであった事を知ってしまい、絶望して海へ飛び込むところでした。上述と同じく「人間も割とこうだったりするな…」と思ったから。この辺りはセリフもなく、殺伐とした情景だけでデヴィッドの表情がみるみる深刻に曇って行く様は、一つの見どころではあろうと思いました。

それでも最後の自分の幸せを聞かれて、ママと一緒にいることだと答えてしまうデヴィットの一途さが感動を呼ぶのかも知れません。正直そこは私はあんまり、でした。プログラム単純すぎるだろオイ、と。これはまあ、私は女なので人の娘であったし、自分の子供も女の子なので実感がないんでしょうね。実際、デヴィッドの無垢さは今5歳の甥っ子を連想させ、妹が見たらヤバいかもしれん、とは思いました。

あとはこのロボットの動力って何なんだろうなぁ、と思ったりもし、あとは高機能に作られていないロボットってどうよと思ったり、ロボットヘイトの民衆がいるのが謎と思ったり(多分人種問題とかの比喩なんだろう)、あと、デヴィッドが捨てられるに当たって森に連れて来られるのが、日本の森だって怖いけどアメリカ辺りの森って本当に怖いなと思ったりしてました。見てみるとあまり親切な説明もないんですが、多分裏設定みたいなのはあるのかもしれませんね。まあそこまで読み込まなくてもそれなりの感銘を与えてくれました。ラストはむしろ救いがあったように思います。

泣けはしませんでしたがこの程度にドライな方が、後々まで心にグッサリ残らないので逆によかったです。当時見ていたら私はまだ幼児の子育て真っ最中だったので号泣ものだったかもしれません…同じ深夜テレビ放映モノでも「マグノリアの花たち」なんかは感情移入してしまう辛い話だったので、やっぱり家族もの、子供が出てくるものというプライベートを取り上げた映画は見る側の環境によっても違いそうです。

あと、やっぱり日本とは子供の扱いが違っていて、小さい頃から自分の部屋で独りで寝るし、夫婦は自分たちの用事で子供を置いていくし。子供が出てくる海外の映画やドラマを見ていると、その辺のギャップがやっぱり解消出来ないので、本当の感覚とか意図はつかめないのかもしれません。

「赤ひげ」1965年 黒澤明監督

ネガティブな感想を含みます。

時は江戸時代後期、幕府の療養所で「赤ひげ」と呼ばれた医師の周辺で起きる人間ドラマ。


赤ひげ(プレビュー)

とにかく長い(3時間、幕間あり)。この頃、長時間=大作という時代背景があったのかもしれないし、この時間だからこそ盛り込める内容もあるのかも知れないが、もう今の時代、映画館でこれを見ると思うと私には無理だ。

そもそも、世界が絶賛するクロサワ映画というが、映画として古いせいなのか個人的には気持ちがついて行けない事が多い。時にはある思想を押しつけて来るものもあるし、私がオバサンなので、この頃の男は強く女は弱く、みたいな世間の常識観が合わない部分もあると思う。

絵面が美しい、と思うところは黒澤映画のどれにもある。「赤ひげ」も、病床で昔語りをして死んでしまう佐八(山崎努)の回想場面は美しい場面が多く、恋女房となるおなかと出会う雪の中、ほおずき市で風鈴が鳴り響く向こう側で再会を果たす場面は鮮烈ではっとする。

大抵、家で見ていると知らない俳優ばかりなのでwikiを見ながら見る事になる。同時に裏話的なものを読めば、どれだけ戦後の名作と言われる映画が当時のお金と時間をかけて、寝食惜しんで作られたものか知ってなるほど、とも思うが、そこまで思いを馳せて評価するべきなのかどうか、とはよく思う。映画は古さを問わず面白くて、見応えがあって、オチにカタルシスがあって余韻をもたらしてくれるものはたくさんあるし、それが映画鑑賞の楽しみだと思う。

今のところ、見て良かったなぁと思う黒澤映画はあまりなくて、一度見て置かなきゃなぁ(タダで放映してくれるし)という感じで見て、映画タイトルを聞いたらああ見たよ、と言うための感じで見ている。多分、有名作品が多すぎて話の筋とかモノによってはオチも知っていたりするから醒めているのかなと思う。昔の同時代に作られた「しょうもない」映画と見比べると、かなり凄いんだろうな、とか。ただ、やっぱり「昔の映画」フィルターをかけたり「一見の価値ある世界のクロサワ映画」と思って見ないと、だいぶ辛い。

個人的に「やっぱり、黒澤映画私ダメかもしれない」と思ったのは、評価としてどこでも微妙さをもって語られる「夢」を見た時、あれだけ壮大な美術や世界観を画面に与えている分、セリフがとにかく説明的で蛇足に感じてしまった事からだった。映画としても色々問題があったのだろうとは思うが、全体的に映像が過剰なので、むしろ役者が生の声で喋ると「ああ役者が芝居してる」って思えてしまう。また見ようともあまり思わないが、音声消しても通じる映画なのでは。

そう思うと、それまでに見た全盛期の映画であってもそこまで丁寧に役者に状況を語らせなくても…と思っていたし、ゆえに「いや、現実でそういう事は口にしないでしょ」ってなってしまう。

とは言え、そうたくさんは見ていないが戦後くらいの古い映画は皆こんな感じだったと思う。セリフが多い分なのかわからないが早口で、滑舌が悪い役者もおおく、マスター映像も古いせいなのか何を言ってるか割とわからない。なので字幕必須になる。

しかし、あれこれ言ってもやはり古い映画での、今はもう亡くなられたり年を取った人たちの若い頃の姿や演技が見られるのは楽しい。この映画では加山雄三が保本という若い医者として赤ひげ先生の三船敏郎の次に主役として出て来るが、美男子でびっくりする。育ちの良いエリート志向の医者見習いで、赤ひげ先生を尊敬するようになる過程でまたイケメン度が上がる。素直に尊敬を口にするようになった保本に対し、赤ひげ三船が期待通りのツンデレで対応するのが今見てもカワイイ。

やっぱり三船敏郎はすごい。基本的に顔立ちが良い人だが、美男俳優というよりも怪優に近い。思えば志村喬山崎努仲代達矢黒澤明の映画で主役を張る人たちは眼光が鋭い、仏頂面がデフォルト、笑顔がむしろ怖いと癖のある人が多い。「生きる」の志村喬なんか、9割顔芸だった。これも説明的セリフを親切そうに喋る俳優は黒澤映画には向かない、という事のような気もする。持論引水。

個人的には女郎屋のババアの杉村春子が凄みがあって印象に残った。他の映画でも口達者、割と意地悪で嫌なおばさんとして出てくるが、出てきた瞬間からブレない意地悪っぷり。見た目も醜悪とさえ言えるような姿だが、堂々とした悪っぷり。

終わりの方でノコノコ体を売らせようとしていた娘を引き取りに来て、おばさんたちに追い払われた挙句、怒りがおさまらないおばちゃんが一人「かっちゃばいてやる!」と叫んで追っかけて行く時の勢い、全速で走ってる。多分ダッシュしてもセットの端まで行かないくらいの広さはあったのかもしれないが、あんな走り方は今の映画やドラマではしないし、わざわざイチ脇役のおばちゃんにそんな役は与えられない。赤ひげ先生も、チンピラたちをボコボコにする格好良い場面があるが、これも本気で殴ったりしているのではと思わせる(案外、この頃は本気で殴らせていたかも)当時の大部屋俳優と思しき人たちのプロ意識、やはり今の映画やドラマでは見られないと思う。体を張るのが良いと言ってるわけではありませんが。

他にもセットのやみくもな壮大さ(≠美しさ)さも見る価値があるとは思う。リアルに重そうな唐草模様の汚い布団が一面に干されている場面なんか還って贅沢に感じたり。多分そうなるだろうと思ってましたが、結局「今こんなの出来ないな」とか「今だったらCG処理だろうな」「時代考証がちゃんとされていて、その通りに用いられているんだろうな」ってそんなところばかり印象に残りました。

なんだかんだ映画を見続けるのは、そういう「その映画が作られた時代」を見て楽しんでいるからかもしれず、これからもとりあえず録画しては見ると思う。